『才能の正体|著者 坪田信貴』

学び

こんにちは、そうまです。

今回は、「才能の正体|著者 坪田信貴」さんの本を読んでの学びをアウトプットしようと思います。

あの『ビリギャル』の著者の坪田先生が書かれた本です!

一言でいうと、めちゃくちゃ面白かったです笑。

僕の興味がある分野で、更にコーチングに通じるところもあって、前のめりで読んでしまいました笑。

少しボリュームが多くなるかもしれませんが、大切な内容だと思ったので、書かせてください。

特に教育現場の人、お子さんがいる親御さんにとって学びになる内容だと思います。

是非読んでもらえると嬉しいです。

こんな人にオススメ

  • 才能があるのは、ごく一部の人だけだと思っている
  • 地アタマの問題だと思っている
  • 子どもの才能を見つけてあげたいと思っている

※本書の内容を引用して書いております。

では、早速始めていきます〜

才能は誰にでもある

才能は誰にでもある

「才能=能力」ではありません。

「能力」というのは、コツコツと努力を続けられれば、誰でも身につけられることができます。

この「能力」が高まっていくと、人よりも飛び出たり、尖ったりする部分がでてきて、やがてそこが「才能」として認められるようになるのです。

『Wikipedia』では、才能 ・・・物事を巧みに行う、生まれつきの能力。才知の働き。

とありますが、

『広辞苑』では、才能・・・才知と能力。ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力。

と書かれています。

著者の坪田先生は、後者の解釈が好きだと述べられており、僕も同じ意見です。

能力を伸ばし、飛び出た部分が才能!ということです。

そして、いきなり本質的なことを言いますが、

自分に合っていない、ふさわしくない場所でいくら頑張っても、物事は身につきません。

「才能がある」と言われている人たちは、”その人に合った”動機付けがまずあって、

そこから”正しいやり方”を選んで、”コツコツと努力”を積み重ねている。

そしてきっちりと結果を出して、そのときに初めて「才能がある」という状態になる。

正確に言えば、「才能がある」と言われるようになる。

地アタマ信仰をやめる

大学に落ちれば「もともと才能がない」
受かれば「地アタマが良かった」

ビリギャルのさやかちゃんが、もし受験に失敗してすべての大学に落ちていたらとしたら、

そでも彼女は「地アタマは良かった」「才能はあった」と言われたでしょうか?

どんな人であっても、結果が出たら「元がいい」「地アタマがいい」と言われ、

結果が出なければ「もともと才能がない」と言われるのです。

受験までに驚くほど偏差値が上がっていたとしても、です。

何が言いたいかというと、

人は結果しか見てくれてない、結果からしか判断しない、ということなのです。

僕はこれを知った時、僕自身がまさにその考えだったに気付かされました。

結果しか見てない…。

多くの場合、「結果」が才能の有無の判断基準になります。

これはつまり、結果によって、過去の解釈もすべて変わってしまう、ということです。

結果を見て→それまでの認知が変わってしまい→新しい物語ができあがる。

やる気のもととなる「動機付け」

坪田先生は「やる気スイッチなどない」と述べています。

あるのは「動機付け」で、

人は、どんな時でも必ず動機付けによって動いているそうです。

親御さんは、わが子に対して「やる気をもってほしい」と言いますが、その子は「遊びたい」という強い動機付けがあって、「勉強したい」という動機付けがないだけです。

「動機」のない子なんて、一人もいません。

では、いかに”動機付け”をするかが重要になってくるかと思います。

そこで坪田先生は”動機付け”を、「認知」「情動」「欲求」の3つの行動から成り立つと述べています。

認知】

目の前に500ページの本があります。これを20日間で読み終えたい。さてどうしたらよいでしょう。

答えはシンプル。1日25ページずつ読めば、20日間で読み終えられます。

25ページなら、できそうではないですか?

人間というのは「これなら自分にできそう」で、しかも「これはきっと人生の役に立つに違いない」と思たら、行動に移すものなのです。

これが「認知」です。

本書に出ている例で、元オリンピック選手の人が、解説されたとき、

感想で「オンピックって参加するものじゃなくて、見て楽しむものなんだなって思いました」と。

このように、認知次第で、今、目の前に広がっている世界の見え方も、価値観も、ガラリと変わります。

それによって、その先の歩み方や組み立て方が変わってくるのですから、

スタート地点で「自分が(子どもが/部下が)、何をどう認知しているか」を冷静に正確に観察することが大切なのです。

【情動】

次に「情動」です。

「情動」といのは、バーンと感情が燃え上がってテンションが上がるわ〜、となる状態です。

テンションが上がらないと、何事も続かないものです。

イヤイヤ続けているようなものが長く続いた試しはないでしょう。

※別の言葉で言い換えると「感情」になります。

【欲求】

最後は、「欲求」です。

「欲求」は、「本当に自分がそれをやりたいと思うかどうか」です。

「衝動買い(大人買い)」のような、一時的なものは、動機付けにはなりません。

ある程度安定した心理的エネルギーとしての「欲求」があってはじめて、「動機付け」

になるのです。

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ここで、『ビリギャル』のさやかちゃんのケースを、「認知」「情動」「欲求」の3つに分析してみましょう。

①出された課題をこなしていき、自分はどれができて、どれができないのか「認知」していきました。

②勉強というのは、できるようになると面白くなっていきます。

それに伴って成績が上がっていく。

すると、「情動」が刺激され、さらにテンションが上がっていきます。

③「慶應に合格したい」「お父さんや先生を見返したい」という強烈な「欲求」
があるので、動機付けが持続していきました。

すると、そこがさやかちゃんの”尖り”となって、やがて「才能」と呼ぶべきものになっていったというわけです。

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やれば伸びる

「自分はやればできる」「今は本気出してないだけ」と言う人がいますが、これはとんでもない「まやかしの言葉」だと坪田先生は言います。

「やればできる」という思考は「結果至上主義」で、その結果が手に入らないとわかった瞬間に、やることそのものをやめてしまうのです。

例)オリンピックに出場しよう、東大に行こう
※その結果が無理だと思ったら、諦めてしまう。

これは、「できそうにないなら、やらない」と言っていることと表裏一体なのです。

その意味で坪田先生は、「やったら、いつか必ずできるよ」という意味の「やればできる」という言葉を使いません。

世の中には「できないこと」がたくさんある以上、大人が子どもに、または目上の人が部下に言いがちな「やればできる」という言葉は嘘になるからです。

こういうときに使うべき正しい言葉は「やれば伸びる」です。

何事も、やらないよりもやった方が絶対にいいのは間違いありません。

やった分だけ成長して、必ず伸びていく。

能力が伸びれば、その「部分」が極立ってきて、「才能」になる可能性がある。

使い古された言葉ですが、「継続は力なり」というのは本質的に真実なのです。

問題は、「自分には無理だと認知した段階」で丸ごと諦めてしまうことです。

中立的なフィードバック

人は「フィードバックされる」とより良くなろうとする性質があります。

ところで、世の中で最も”フィードバックしてくれるもの”って、なんだか分かりますか?

それは、鏡です。

こちらが動けば、鏡の中の自分も一緒に動く。

「自分が今どういう状況か」というのを、鏡ほど、常時フィードバックしてくるものはありません。

鏡を見ると、「良くしたいポイント」が見つかります。

ひとつひとつ「確認しながらより良く修正していく」のが、鏡のフィードバックを受けたときにする、人間の行動なのです。

ここでちょっと想像してみてください。

鏡が意思を持っていて、あなたが鏡を見るたびに

  • 今日の髪型は決まってないね
  • 年取ったね
  • 目尻のシワが深くなってきたね
  • 最近太った?

と、マイナスな点ばかり話しかけてくるとしたら、、、。

反省して、良くなろうと思いますか?

落ち込んで終わってしまったり、うるさいなぁ、腹が立つなぁと思ったりするだけではないでしょうか。

もしあなたが「そんなことを言われるのはウザい」「腹が立つに決まっている」と思ったとしたら、そのフィードバックは間違ったフィードバックである証拠です。

なぜなら改善する意欲を失わせているのですから。

ただ、ほとんどの人が、この”間違ったフィードバック”をやってしまっていると坪田先生は言います。

フィードバックは客観的な”事実のみ”を言うだけでOK

実際に鏡が行っているフィードバックは、「良い/悪い」の判断ではありません。

単なる客観的なフィードバックです。

例えば、子どもの姿勢がわるい時、

子どもにやってもらいたいのは「背筋を伸ばす」ということだけではないでしょうか。

目がわるくなるとか、背が伸びないとかは今してほしいこととは関係ないはずです。

このとき一番いいフィードバックのやり方は「背筋が曲がってるね」と言うだけ。

プラスの意図もなく、マイナスの意図もなく、ただ事実のみを言うのです。

最後に

能力を伸ばし、尖った部分が才能になる(≒才能と認められるようになる)

坪田先生は、「なぜ人は勉強するのか?」という問いにこう答えています。

才能が必要になってくるのは、大学入学から先を生きていくとき。

その才能を見つけるためには、もともとある能力を伸ばしておかなければなりません。

能力を伸ばすためには、基礎となる「知識」が必要だからー。

僕は、才能という言葉にどこか疑心暗鬼になっているところがありました。

しかし、「能力を伸ばし、尖った部分が才能になる」という言葉がすごくしっくりきました。

自分の得意なところを伸ばし、どんんどん尖らせていきましょう!!

まずは認知から!

最後に、本書にあった名言を残しておきます。

誰もが天才だ。しかし、魚の能力を木登りで測ったら、魚は一生、自分はダメだと信じて生きることになるだろう。

by アインシュタイン

<参考>
「才能の正体|著者 坪田信貴」

学び
そうま

1995年富山県生まれ。警察官→営業/人材。コーチング提供中。おやべRED-OX#8🏑フィールドホッケー。

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